もし本当なら恐ろしい事実なのでメモしてみました。
広島の原爆は実は失敗だったという事実
1945年8月6日、広島に投下された原爆「リトルボーイ」は、第二次世界大戦の終結を早めるために使用されました。この原爆に搭載されたウランの量は64kgでしたが、実際に核分裂を起こしたのはわずか0.7gでした。この0.7gのウランが核分裂を起こすことで生じたエネルギーが、広島に甚大な被害をもたらしました。
64kgに対して0.7gというのは非常に小さい割合です。この比率は、64 / 0.7 = 約91.4 となります。もし、このすべてのウランが核分裂を起こしていた場合、被害範囲はさらに拡大していたと考えられます。現在の被害範囲が約3.5kmだとすると、91.4倍すると、91.4 × 3.5 = 約320km に及びます。
広島の原爆による被害は甚大でした。爆心地から半径約2km以内の建物はほぼ全てが壊滅し、推定14万人が死亡したとされています。爆風や熱線、放射線の影響で多くの人々が即死し、生き残った人々も後に放射線障害に苦しむことになりました。広島市は一瞬で壊滅し、その後も長期間にわたり放射線の影響が残りました。
広島に投下された原爆は「成功」とされていますが、技術的な観点から見ても多くの部分で「失敗」していたということがわかります。リトルボーイは当初の設計通りに動作せず、核分裂が不完全だったため、全てのウランが反応しませんでした。それでも広島に甚大な被害を与えたという事実は、核兵器の恐ろしさを改めて認識させます。
また、広島に投下された原爆の後、8月9日に長崎にも原爆(ファットマン)が投下されました。こちらはプルトニウム型原爆であり、広島と同様に甚大な被害をもたらしました。この2つの都市への原爆投下は、日本の降伏を決定づけ、第二次世界大戦を終結させる要因となりましたが、その代償はあまりにも大きかったのです。
核兵器の開発は、当時の国際的な競争や抑止力の観点から進められました。特に広島の原爆投下は、ソビエト連邦に対するアメリカの軍事的優位性を示すための一手段でもありました。しかし、その代償として、人類は未曾有の破壊力を持つ兵器を手に入れてしまったのです。
広島の悲劇から学ぶべき教訓は多くあります。核兵器の使用は、戦争の終結を早めるための手段として用いられましたが、その影響は計り知れません。広島の原爆被害は、現在も多くの人々に記憶され、核兵器廃絶の重要性を訴える象徴となっています。
こんな恐ろしいものをなぜ開発したがるのでしょうか?それは、当時の国際的な競争や抑止力の観点から、各国が核兵器を保有することで他国に対する威嚇や防衛の手段とするためでした。しかし、その代償として、人類は未曾有の破壊力を持つ兵器を手に入れてしまったのです。このような兵器が二度と使用されないことを強く願います。
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E=mc2のからくり エネルギーと質量はなぜ「等しい」のか 山田克哉著より
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