栃木県民として当たり前のように接してた日光東照宮、
真言宗の開祖といわれる弘法大師空海と関係があったなんて今更ながら驚きです
弘法大師空海の関係をまとめてみました。
日光命名
真言宗の開祖といわれる弘法大師空海が平安時代の
820年(弘仁11年)日光に来山され、滝尾権現と寂光権現をまつられたと伝えられています。
このとき「二荒」を「日光」に改められたそうです。
白糸の滝
弘法大師が日光山に登り、四本竜寺に戻られてから、
稲荷川に沿って開山堂のあたりを通り、滝尾山を開かれました。
美しい滝があり、その流れが布をさらすように見えたり、
糸のように見えたりするので「白糸の滝」と名をつけられました。
滝のうしろに山がそびえ、その形が大きな亀が寝ているようなので「亀山」とつけました。
そのふもとに大きな穴があって竜の棲家のようだったので、弘法大師は大竜穴と名づけて、そこに住むことにしました。
八葉蓮華池・児玉堂
竜穴の南に池があり「八葉蓮華池」と呼び、その池のそばで7日間の修行をされました。
不思議にも7日目に池の中から直径7センチほどの白い玉が浮かび出てきました。
弘法大師はその玉に向かって「何者じゃ」と問われると、白い玉は「われは天補星【てんぽせい】でござる」と答えられました。
弘法大師はありがたく、白い玉を袈裟に包んで持ち帰り、祠を建ててまつられました。これが現在、山内にある児玉堂です。
それからまた、池のほとりでまじないを唱えると、今度は直径33センチもある大きな白い玉が浮かび出ました。
弘法大師はますます喜んで「何者じゃ」と問われると、「われは妙見尊星でござる」と答えられました。
白い玉は「この山は女体の神様のおられる所なので、その神をおまつりしてください。
私の住む所は中禅寺です。末代になるにしたがって人々の心は悪くなります。
ですから、私は人々の怠慢になる心を救いたい。」と告げてどこかに消えてしまいました。
妙見大菩薩・滝尾大権現
弘法大師は中禅寺に妙見大菩薩をまつられ、ますます熱心に修行を続けると、雲の中から天女の姿が現れました。
たとえようのない美しさ、尊さ、あたりはよい香りにつつまれ、なんとも神々しいお姿です。
弘法大師は竜穴の上に社堂を建て女神をまつられました。
これが「滝尾大権現」で祭神は田心姫命です。
弘法大師は滝尾に永住しようとしましたが、京都に帰らなければならず、道珍に後を継がせて日光山を去ったと伝えらえています。
まとめ
調べてみると日光って本当にすごい所なので、
あらためて散策してパワーをゲットしたいと思います。
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この投稿で、みなさんのお役にたてれば嬉しいです。
ばいちゃ\(^o^)/
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