速読は意味ない?いろいろ試して55歳になった私が思うこと

速読からゆっくり読む読書へ 雑学
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「速読を身につければ、本を何倍もの速さで読めるようになる」

そんな話を聞いて、速読に興味を持ったことがある人も多いのではないでしょうか。私もその一人です。

これまで栗田式・SRS速読、クリエイト速読、フォトリーディング、30倍速読術など、いろいろな速読法に興味を持ち、実際に試してきました。

では、速読は本当に意味があるのでしょうか?

55歳になった今の私の結論は、速読そのものに意味がないわけではない。ただし「たくさんの本を速く読むこと」を目的にしてしまうと、あまり意味がないこともあるというものです。

私の場合、速読を勉強したことで「必要な情報を素早く見つける」という力は身につきました。これは今でも仕事で役立っています。一方で、自己啓発本などを次から次へと速読していると、情報が軽く通り過ぎて「それ知ってる」で終わってしまうこともあります。

そして最近では、小説や物語をゆっくり読むことにも、以前とは違った価値を感じるようになりました。

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私が速読を始めたきっかけ

私が速読に興味を持ったきっかけは、二級建築士の勉強でした。

建築士試験は覚えることが多く、参考書や問題集を何度も読まなければなりません。「もっと速く読めれば、勉強時間を短縮できるんじゃないか?」と思ったわけです。

そこで当時、栗田式・SRS速読などについて調べ、速読の練習を始めました。

ところが、すぐにおかしなことに気づきます。

建築士試験の勉強時間を増やすために速読を覚えようとしているのに、その速読を身につけるために時間を使っている。

「速読を練習している場合じゃないな……」

結局、速読の練習はやめて普通に参考書を読み、問題集を解くことにしました。そして二級建築士には無事合格することができました。

今考えれば当たり前のことですが、目的は「速読ができるようになること」ではなく、「建築士試験に合格すること」です。

目的と手段を逆にしてはいけない。

速読を勉強して、最初に気づいたのは意外にもそんなことでした。

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それでも速読への興味は続きました

建築士試験では速読を諦めましたが、速読そのものへの興味がなくなったわけではありません。

その後もクリエイト速読、フォトリーディング、30倍速読術など、いろいろな方法に触れました。

速読といっても方法はさまざまです。文章を高速で追っていくものもあれば、本全体を俯瞰して必要な情報を探していくものもあります。

その中で私にとって一番役立ったのが、**「本は最初から最後まで全部読まなくてもいい」**という考え方でした。

以前の私は、本を買ったら1ページ目から順番に読まなければいけないと思っていました。しかし仕事で何かを調べるために本や資料を読んでいるのであれば、全部読む必要はありません。

自分が何を知りたいのかを先に決め、目次や見出しを確認して必要な場所を探し、そこを詳しく読む。

この読み方を覚えたことは、今でも役立っています。

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フォトリーディングは仕事で役に立った

IT関係の営業をしていた頃には、フォトリーディングも勉強しました。

営業をしていると、商品資料や専門資料など大量の情報を見る必要があります。すべての資料を最初から最後までじっくり読んでいたら、それだけでかなりの時間がかかってしまいます。

そこで「この資料から自分は何を知りたいのか?」を最初に考えてから読むようになりました。見出しを確認し、キーワードを探し、必要なところを重点的に読む。

私の場合、速読を学んだからといって「普通の人の何十倍もの速さで文章が読めるようになった」という感覚はありません。

それよりも、文章や資料の読み方そのものが変わったことのほうが大きな収穫でした。

これは今の仕事でも同じです。大量の資料から必要な情報を探す場合、全部を同じ密度で読む必要はありません。

必要な情報を素早く探すという意味では、速読を勉強した経験は無駄ではなかったと思っています。

速読で本当に大切なのは「速く読むこと」なのか?

速読というと「1冊を10分で読む」「普通の人の何倍もの速さで読める」といった部分に目が行きがちです。

でも、本来の目的は本を速く読み終えることでしょうか?

仕事なら必要な情報を見つけて使うこと、資格試験なら覚えて問題に答えられるようになること、趣味の読書なら本そのものを楽しむことが目的のはずです。

100ページの資料があって、自分に必要なのが10ページだけなら、その10ページをきちんと理解すればいい。

全部を高速で読むことより、「どこを読まなくていいのか」を判断する力のほうが重要な場合もあります。

逆に、法律や建築基準、契約内容など、一言一句の意味が重要な文章は速く読むことより正確に読むことが大切です。

つまり、何でも速く読めばいいわけではなく、速く読むものと、じっくり読むものを分ける。

それでいいのではないでしょうか。

自己啓発本こそ速読しないほうがいいのかもしれない

そして55歳になった今、速読についてもう一つ思うことがあります。

それは、**自己啓発本を速読することに、どこまで意味があるのだろう?**ということです。

速読をすると短時間でたくさんの情報を得られます。それ自体はメリットですが、反対に情報が次から次へと入ってくるため、一つひとつの言葉の重みが薄くなってしまうことがあります。

「ああ、それ知ってる」「それも聞いたことがある」

そうやって次の本、また次の本と読み進めて、気がつけば100冊読んでいた。

でも、100冊読んで自分は何か変わったのだろうか?

もちろん、たくさんの本を読むことが悪いわけではありません。速読が悪いわけでもありません。

ただ、速読にはこういう一面があることを知って使うのと、知らずに「何冊読んだ」「年間100冊達成した」と冊数だけを増やしていくのでは、読書から得られるものが違ってくるように思います。

自己啓発本に書かれている大切なことは、意外とシンプルです。そして同じようなことが違う言葉で何度も書かれていることもあります。

大切なのは「知っている」ことではなく、その言葉を自分がどう受け止め、何を考え、実際にどう行動するか。

もしかすると自己啓発本こそ、たくさん速く読むより、一冊の中で引っかかった一つの言葉についてじっくり考えたほうが、自分を変えてくれるのかもしれません。

55歳になって小説や物語から気づくことが増えた

そんなことを考えるようになったからでしょうか。最近の私は、小説や物語から気づきを得ることが多くなりました。

小説は自己啓発本のように「こう考えましょう」「こう行動すれば成功します」と答えを端的に教えてくれるわけではありません。

登場人物が悩んだり、失敗したり、人を好きになったり、嫌いになったりする。その物語を読みながら、「自分だったらどうするだろう?」「この人の気持ちは少し分かるな」「昔だったら、この人物の考え方は理解できなかったかもしれない」と考えます。

答えを教えてもらうのではなく、物語を通して自分で感じたり、考えたりする。

若い頃の私は、本からできるだけ多くの「情報」を得ようとしていたのかもしれません。

たくさん知っていること、速く情報を集められることに価値を感じていました。

でも55歳になった今は、情報を増やすことだけが読書ではないと思うようになりました。

一つの物語を読み、登場人物について考えたり、自分のこれまでの人生と重ね合わせたりする。そういう読書にも価値があるのだと思います。

速読は意味ない?今の私の結論

いろいろな速読法を試してきましたが、私は「速読には意味がない」とは思っていません。

私自身、速読を勉強したことで、必要な情報を素早く探す読み方を覚えました。仕事の資料や調べものでは、今でもその考え方が役立っています。

ただし、速く読めることと、その本から多くのものを得られることは、必ずしも同じではありません。

速読で必要な情報を素早く探す。大切なところはじっくり読む。そして小説や物語は、速さを求めず、その世界を楽しむ。

若い頃は「もっと速く、もっとたくさん」と思っていた私ですが、55歳になって、ようやく「ゆっくり読む読書もいいな」と思えるようになりました。

これからは情報を得るためだけではなく、小説や物語を読みながら、心を豊かにするための読書も楽しんでいきたいと思っています。

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